JUGGLER

About Juggler

会社概要

SIDE STORIES of US

HISTORY

株式会社ジャグラーは、矢沢永吉の元マネージャー村田積治とヤマハで中島みゆきや世良公則&ツイストの宣伝担当だった渡木(とねぎ)説子が設立した音楽事務所。
1982年(S57)青山の小さなビル、クリーニング店の2Fで業務をスタートした。
1985年(S60) ECHOESがアルバムデビュー、1987年(S62)THE BLUE HEARTSが自主盤〜メジャーデビューし快進撃を続けると共に、音楽業界にしっかり根を下ろして行った。
1995年(H7)にTHE BLUE HEARTSは解散するも、BOOM BOOM SATELLITESやSNAIL RAMPなどその後も独創的なアーティストたちを輩出。
そして40年の歴史は、実はこんなおバカな話の積み重ねでできている!

ジャグラーサイドストーリー

渡木さんが人の紹介で初めて村田さんに会った時、全身真っ黒で更に黒いトレンチコートを着て聖書を持っていた。これはダメだと思った。
ロックひと筋の事務所というイメージが強いがアーティスト第1号が評論家の吉見佑子氏だった事は知られてない。ある意味厄除けみたいなものでもある。
偶然ルックスの良いマーシーを見つけて尾行した渡木さんは、待ち合わせ相手のヒロトに更にビックリして思わず名刺を渡し、2人がバンドをやっていることをその時知る。
渡木さんと村田さんはMステの収録で行った旧テレ朝の玄関ロビーで、収録も見ずに大喧嘩して観葉植物の鉢を壊した。
アルバイトニュースでバイトの募集をかけたが、設定した日当が安すぎて労働基準法に抵触したため掲載されなかった。
会社にお金がなかったので、地方のイベンターからのお中元は「冷麦」と指定して、毎日昼食に社員交代で茹でて夏を乗り切った。
冬の夜中の関越でメンバーの乗ったハイエースが横転してギターとスネアが飛び出して行方不明になったが、誰もかすり傷1つなく代車で東京に戻り、朝羽田から札幌に旅立った。
急に金回りが良くなって税務署が査察に来る前日、なんでもいいから経費で買って来いと言われて、若手が手分けして1番安いウォークマン10台とタイヤと革ジャンを買ってきた。金持ちに慣れてなかった。
幹事*をやった阿蘇で初のオールナイト野外フェス「ビートチャイルド」は嵐が直撃して大惨事の一歩手前だった。3万のキャパに5万人来て大儲けと思ったのに、凍えた観客に物販のタオルやTシャツを無料で配って大赤字だった。がとりあえず映画になった。
(*当時は事務所が持ち回りでイベントの仕切りをしていた)
幹事をやった「広島ピースコンサート1990〜2000」の記者会見で、10回のコンサートの収益を原爆養護施設に寄付すると発表したが、記者からそれなら11回だと指摘された。計算が誰も出来なかった。馬鹿ばっかりだった。
幹事をやった大晦日のオールナイトライブ「ロックンロールバンドスタンド」でスポンサーのローソンの名前を関係者パスに入れ忘れて、近くのローソンでロゴ入りのセロテープを売ってもらいそれをパスに貼って誤魔化した。
サイドストーリーは今後も不定期で増える予定です。お楽しみに!!

↓事務所移転の歴史です。現在の場所が最初に入っているので、来る時の参考にどうぞ↓